1.『まるごと』の理念

『まるごと 日本のことばと文化』(以下、『まるごと』)は、ことばによるコミュニケーションを通して目的を達成する能力と、自分と異なる文化を理解し尊重する姿勢を養い、相互理解につながる日本語教育を実現したいと考えて作られた教材です。『まるごと』というタイトルには、日本のことばと文化を「まるごと」、人と人とのリアルなコミュニケーションを「まるごと」、その背景にある生活や文化を「まるごと」伝えたいというメッセージが込められています。

2.『まるごと』の基本的な考え方

『まるごと』は、「相互理解のための日本語」を理念とした「JF 日本語教育スタンダード」(以下、JFS)という言語教育の枠組みにもとづいて制作されており、次のような特徴があります。

Can-doによる目標設定

『まるごと』は、実際の場面で日本語を使ってコミュニケーションできるようになることを目指しています。そのため、到達目標は「日本語を使って何がどのようにできるか」という課題遂行(Can-do)の形で設定されています。そして、課題遂行のために何が必要かという観点から、言語形式などの学習項目が選ばれています。

『まるごと』のレベルは、JFSの6段階(A1・A2・B1・B2・C1・C2)に合わせて設定されています。現在、作成されている教科書は、入門(A1)、初級1・2(A2)、初中級(A2/B1)、中級1・2(B1)です。JFSの6段階は、CEFR*の尺度を採用しているので、ほかの言語との比較もしやすくなっています。

※ヨーロッパ言語共通参照枠(Common European Framework of Reference for Language: Learning, teaching, assessment)の略。

  • A1
  • A2
  • B1
  • B2
  • C1
  • C2
  • ・具体的な欲求を満足させるための、よく使われる日常表現と基本的な言い回しは理解し、用いることもできる。
    ・自分や他人を紹介することができ、どこに住んでいるか、誰と知り合いか、持ち物などの個人的情報について、質問をしたり、答えたりできる。
    ・もし相手がゆっくり、はっきりと話して、助け船を出してくれるなら簡単なやり取りをすることができる。
  • ・ごく基本的な個人的情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、直接的関係がある領域に関する、よく使われる文や表現が理解できる。
    ・簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄についての情報交換に応ずることができる。
    ・自分の背景や身の回りの状況や、直接的な必要性のある領域の事柄を簡単な言葉で説明できる。
  • ・仕事、学校、娯楽で普段出会うような身近な話題について、標準的な話し方であれば主要点を理解できる。
    ・その言葉が話されている地域を旅行しているときに起こりそうな、たいていの事態に対処することができる。
    ・身近で個人的にも関心のある話題について、単純な方法で結びつけられた、脈略のあるテクストを作ることができる。経験、出来事、夢、希望、野心を説明し、意見や計画の理由、説明を短く述べることができる。
  • ・自分の専門分野の技術的な議論も含めて、抽象的かつ具体的な話題の複雑なテクストの主要な内容を理解できる。
    ・お互いに緊張しないで母語話者とやり取りができるくらい流暢かつ自然である。
    ・かなり広汎な範囲の話題について、明確で詳細なテクストを作ることができ、さまざまな選択肢について長所や短所を示しながら自己の視点を説明できる。
  • ・いろいろな種類の高度な内容のかなり長いテクストを理解することができ、含意を把握できる。
    ・言葉を探しているという印象を与えずに、流暢にまた自然に自己表現ができる。
    ・社会的、学問的、職業上の目的に応じた、柔軟な、しかも効果的な言葉遣いができる。
    ・複雑な話題について明確で、しっかりとした構成の、詳細なテクストを作ることができる。その際テクストを構成する字句や接続表現、結束表現の用法をマスターしていることがうかがえる。
  • ・聞いたり、読んだりしたほぼ全てのものを容易に理解することができる。
    ・いろいろな話し言葉や書き言葉から得た情報をまとめ、根拠も論点も一貫した方法で再構成できる。
    ・自然に、流暢かつ正確に自己表現ができ、非常に複雑な状況でも細かい意味の違い、区別を表現できる。

トピック 

『まるごと』では、学習者の関心や興味を考慮して、さまざまなトピックを取り上げています。トピックは、それぞれのレベルで、学習者が情報収集をしたり交流したりしたくなるようなものを選びました。これらのトピックは、JFSの15のトピックと関係づけて考えてあり、同じトピックをレベルを変えてスパイラルに学ぶことによって、コミュニケーションできる内容が自然と広がってきます。

※『まるごと』各冊のトピック対照表  入門(A1)~中級(B1)(81KB)

異文化理解

JFSでは、課題遂行能力とともに異文化理解能力を重視しています。『まるごと』では、異なる文化に興味を持ち、自国の文化との相違点やその背景が考えられるように、素材や内容、タスクなどを工夫しています。そして、お互いの文化を尊重する態度を養えるようになっています。

学習の自己管理

『まるごと』では、学習者一人一人が自分の興味や関心に応じて、日本語や日本文化の学習を主体的に進めていくことを重視しています。そのために、JFSが提唱する「ポートフォリオ」を作成して学習の過程を記録して振り返ることや、「Can-doチェック」で自己評価することなどを取り入れています。

JFスタンダードと「日本語教育の参照枠」についてはこちらをご覧ください。「日本語教育の参照枠」にもとづく日本語教育には、『まるごと』もお使いになれます。

3.各レベルの教科書の内容と特徴

入門(A1)、初級1・2(A2)は、「かつどう」と「りかい」の2種類のコースブックがあります。
これらは、各々異なる学習目標と方法で作られていますが、シラバスの大枠となるトピックと言語運用場面を共有しており、相互補完的な関係になるように設計されています。したがって、基礎段階の学習者のさまざまなニーズに合わせて、「かつどう」「りかい」を一つのコースで併用することも、いずれかを単独で使用することもできます。

① 入門(A1)

入門(A1) かつどう

全9トピック18課  想定授業時間:30~40時間(90~120分/課)

『まるごと』入門(A1)「かつどう」は、コミュニケーションのための言語活動ができるようになることを目指したコースです。日本語でのやりとりを中心に50の目標Can-doがあります。Can-doを具体的な行動にするための会話は、海外の学習者にとって自然な場面設定で、複雑な文を使わなくてもできるものばかりです。メモや地図など視覚情報を活用するようなCan-doも入門(A1)の特徴です。

教室活動の手順は、会話音声を十二分に聞き、そこで使われている重要表現を学習者自らが気づき、そして話す練習へと進めます。これは第二言語習得のプロセスを反映させたものです。音声に慣れることを重視する一方で、表記はかなとローマ字を併用することで、日本語の文字を覚えて読む負担を軽減しています。文字学習の目標はひらがな・カタカナが語単位で60%読めることです。限られた授業時間で音声重視の日本語学習を進めるために、文字を書けるようになることは特に強調していません。

語彙学習は、本書にある語をすべて覚えるのではなく、学習者が自分自身の情報発信に必要な語から覚えていくようにします。自分に必要な語を探すために「ごいちょう」もぜひ活用してください。

「生活と文化」のページは写真を見て日本人の日常を知り、学習者間で感想を言い合ったり意見交換をしたりします。入門(A1)では、町で見かける店やもの、日本のおみやげや観光地など、できるだけ写真を見ればわかるような内容を取り上げています。学習者が思ったことを自由に話せるように、母語を使用することを想定しています。

入門(A1)りかい

全9トピック18課  想定授業時間:40時間(120分/課)

『まるごと』入門(A1)「りかい」のコースは、コミュニケーションを支える言語項目(文字、語彙、文法、文型など)の学習を中心に進めます。入門では、最も基本的な文構造(名詞文、形容詞文、動詞文の現在と過去など)を練習します。構造シラバスの教科書との大きな違いは、文型などの学習項目がコミュニケーション言語活動をもとに選定されていることです。このようにして「りかい」は、「かつどう」の目標Can-doのモデル会話から項目を抽出して、両者をつなげています。入門の学習項目は構造も意味も単純ですから、教師の説明も最小限でよいと考えています。練習問題で使う文はすべて各トピックに沿った文脈のあるものばかりです。音声を答えのチェックなどに利用することで、より効果的な学習が期待できます。「りかい」では65語の漢字表記を提示し、読み方を学習します。文字学習の目標は、この漢字表記の語が読めること、ひらがな・カタカナが語単位で80%読めることと60%書けることです。「かつどう」と同様、「りかい」でも語彙練習を効率的かつ効果的に進めるために「ごいちょう」を利用します。

② 初級1・2(A2)

初級1・2(A2) かつどう

全9トピック18課  想定授業時間:40~60時間(120~180分/課)

『まるごと』初級1・2(A2)「かつどう」は、入門(A1)と同様、コミュニケーションのための言語活動ができるようになることを目指したコースです。日本語でのやりとりを中心にそれぞれ53、49の目標Can-doがあります。Can-doの会話は入門よりもやや長く、複雑なものも入っています。また発表やイベントでのあいさつなど、人前で一人で話すCan-doもあります。そしてこれらのCan-doを遂行するために、いわゆる初級文型が自然な形で使われています。初級1・2(A2)の教室活動は入門(A1)と同様、やりとりや話す練習をする前に、会話音声を十二分に聞き、そこで使われている大事な表現に学習者自ら気づくことを重視します。入門(A1)では定型的な表現が多いのですが、初級1・2(A2)では品詞活用をともなう表現や、名詞修飾など構造的にやや複雑な表現が増えます。そのため正しい気づきに誘導できるように「発見」というセクションを設けました。

文字学習は、初級2(A2)終了までにひらがな・カタカナが100%読めるようになることが目標です。
「生活と文化」では、男女の役割、ボランティア活動、時代の変化など、身のまわりから日本社会の諸相に目を向ける問いかけが増えていきます。

初級1・2(A2) りかい

全9トピック18課  想定授業時間:40~60時間(120~180分/課)

『まるごと』初級1・2(A2)「りかい」のコースは、入門(A1)と同様、コミュニケーションを支える言語項目(語彙、文法、文型など)の学習を中心に進めます。学習項目は「かつどう」の目標Can-doのモデル会話をもとに選定しています。いわゆる初級文型の大部分が学習項目になっていますが、複数の意味・機能を持つ文型の場合、Can-do会話に必要な機能のみ取り上げて練習します。また、異なるトピックで同じ文型が取り上げられ、繰り返し学習していきます。

文字学習の目標は、初級1(A2)でひらがな・カタカナが100%読めることと80%書けることです。書くことは、初級2(A2)で100%を目標とします。漢字表記の語については、新規導入の語(初級1(A2)で156語、初級2(A2)で170語)がすべて読めることが目標です。

初級1・2(A2)には「ことばと文化」のセクションを設けました。これは、ことばの使い方を通して異文化理解学習を行うきっかけとするためのものです。「こんなときどう言うか」だけでなく、なぜそう言うのか、話し手の意図や受け手の反応を考えてみます。

③ 初中級(A2/B1)

全9トピック  想定授業時間:60~80時間(6~8時間/トピック)

『まるごと』初中級(A2/B1)のコースは、入門(A1)~初級2(A2)の復習と応用、さらに上のレベルに進むための準備を目的としています。そのため、A2レベルのCan-doとB1レベルのCan-doから成っています。初中級(A2/B1)には全部で44の目標Can-doがあります。

各トピックの前半は日本語でのやりとりが目標です。初級2(A2)までよりもさらに長く、多様な内容で展開する会話を聞いたり話したりします。また「発見」のセクションで取り上げる言語表現は、初級2(A2)までの既習表現(言語形式)の復習と応用を意図しています。

トピック後半は読む活動が中心です。読みのテキストから新しい学習項目を取り出して、練習します。そのあともう一つ同じテーマの文章を読みます。

初中級(A2/B1)は自分の心情を表現したり相手の立場を配慮したりと、人の内面に少し踏み込む内容になっています。初級2(A2)までの日本語学習の蓄積を生かして、この内容を楽しんでください。また、初級1・2(A2)「りかい」と同様、初中級(A2/B1)にも「ことばと文化」のセクションがあります。コミュニケーションを円滑にすることばの使い方について、さらに考えていきましょう。

④中級1・2(B1)

各巻9トピック  想定授業時間:約80~120時間(約8~13時間/トピック)

『まるごと』中級(B1)で目標とするのは、「自立した言語使用者」として、日本語でまとまりのある話をしたり、身近な話題の文章の大切な点を理解したり、日本に行ったときに自分一人でいろいろなことに対応したりできるレベルです。

それぞれのトピックは、「聞いてわかる」「会話する」「長く話す」「読んでわかる」「書く」という技能別の5つのパートに分かれていて、それぞれに目標となるCan-doがあります。中級レベルでは学習の背景やニーズが多様であることから、コースブックとして順に学ぶだけでなく、必要な部分を取り出して授業で使うことも可能です。

目標となるCan-doは、海外でも実際にありそうなコミュニケーション場面での課題遂行です。日本人との会話の中で自分の興味のある話題について話したり、日本語で書かれたウェブサイトを読んでだいたいの内容を理解したり、SNSに日本語で投稿したりなど、実際の日本語使用場面での具体的な活動を目標にします。これまでの多くの中級教材のように、難しい語彙や文型の知識を増やしたり、長い読解テキストを精読したりすること自体が目的ではありません。日本語で「できる」ことを増やすことが目的です。

現実の世界で日本語のコミュニケーションを自力で達成するためには、「生の日本語」に立ち向かう力をつけることが必要です。そのため中級(B1)では、できるだけ本物らしい、生に近い素材を使って学習を進めます。語彙や漢字、口語表現など、難しいものも多く出てきますが、わからないものがある中で課題を達成する力を育てることで、教室の外でも実際に使える日本語力を身につけることがねらいです。特に、中級レベルのまだ限られた日本語の範囲でもコミュニケーションが進められるように、推測したりことばを言い換えたりなどのストラテジーの練習も多く取り入れています。

各トピックで取り上げた内容は、温泉、武道、歌舞伎、忍者など、日本の伝統文化に関するものから、マンガ、J-POP、ネット通販など、今の日本社会や日本文化を扱ったものまで、さまざまです。また「ONE PIECE」「コブクロ」「大江戸温泉物語」「フラガール」のような、現実の題材も多く使われています。興味のあるトピックで、楽しみながら、実際に使える日本語を身につけることができます。

4.『まるごと』の開発

『まるごと』開発プロジェクトは、JFSの具体的な活用例として、教材の形で表すことを目指して2010年にスタートしました。JFSという枠組みをどうやってコースブックに落とし込むかにあたり、各レベルにどんな特徴があるか、課題遂行(Can-do)を目標とするにはどのような学習デザインが有効か、異文化理解能力とは何か、学習者の能力をどう評価したらいいかなど、日本語国際センターの専任講師がチームを組んで、議論を重ね、開発してきました。

『まるごと』は、海外での教育実践に基づいた教材です。すべてのレベルにおいて試用版を制作し、海外の日本語講座(JF講座)で実際に使ってから、改訂を施して市販化しています。JF講座とは、国際交流基金が世界28カ所(2020年10月現在)で展開している一般成人対象の日本語講座です。海外の学習者はどのような場面で日本語を使うのか、トピックや素材はどんなものが適しているか、そして何より、学習者と教師が楽しく取り組める教材にするにはどうしたらいいのか、教育現場のフィードバックを得ながら試行錯誤を重ねてきました。現在JF講座では、試行を経て完成した『まるごと』を使った授業が展開されており、各地のJF講座の協力を得てサポート教材の多言語化を進めています。

JF講座開設地

『まるごと』プロジェクト年表

『まるごと』プロジェクト年表

執筆者

入門(A1):来嶋洋美 柴原智代 八田直美
初級1(A2):来嶋洋美 柴原智代 八田直美 今井寿枝 木谷直之
初級2(A2):来嶋洋美 柴原智代 八田直美 木谷直之 根津誠
初中級(A2/B1):来嶋洋美 柴原智代 八田直美
中級1(B1):磯村一弘 藤長かおる 久保田美子 伊藤由希子
中級2(B1):磯村一弘 藤長かおる 伊藤由希子 久保田美子

本冊作成協力者

制作協力:内田陽子 鈴木今日子 松野志保
英訳:Andrew Drought  James Stuart-Jones