白い砂浜のリパルス・ベイへ

 今、ロケ地を知る人を捜し出すのは困難だが、背景から判断すると「丘」にはリパルス・ベイ(浅水湾)の丘陵が使われたようだ。その映像にヴィクトリア・ピークから見下ろした景色をつなげていたのだろう。
 香港島の南側中央に位置するリパルス・ベイは、演技派のジェニファー・ジョーンズが初めて銀幕で水着姿を見せた場所だ。くわえたままのタバコを突き出すスーインに、マークが優しく火を付けたラブ・シーンの場に使われたのも、この浜辺である(7)
 リパルス・ベイまではセントラルからバスで約20分。山あいの道を抜け、いきなり開ける白い砂浜と海岸線がリパルスベイだ。三方を緑濃い丘陵に囲まれ、海辺は三日月型に広がる。山側の丘陵には優雅なたたずまいの邸宅や高級マンションが密集しており、『慕情』時代のひなびた趣は薄らいだが、景観の素晴らしさは変わらず、香港島の数多い入江や湾の中でも飛び抜けているといわれる。ここも一度は訪ねてみたい観光名所だ。

リパルス・ベイ・ホテル

 残念なのはこの風光明媚な湾に面して、ヴイラ風の瀟酒な姿を誇っていたリパルス・ベイ・ホテルがなくなってしまったことだ。四季折々の花に囲まれ、東西に伸びる“エ”(アイ) 字型の白亜の二階建て。客室は32室と少なかったが、全室ともスイートで、海に向かって突き出す小部屋が付いていた。高い天井とゆっくりと回る4枚羽根の扇風機、落ち着いたヴィクトリア調の調度品や大きな衣装入れ……、隅々までが気品にあふれていた。そして、小部屋の窓からは南シナ海の青い島々を望み、夜ともなれば、庭に繁る熱帯樹の香りが、きらめく星空が、そして、遠くに揺れる漁船の漁火が宿泊客を幻想の世界へと誘った。回廊のレストランも、ベランダのビュッフェも、火炎樹の花咲く庭を眺めるコーヒーテラスも、それぞれがロマンチックな絵画を描いていた。
 1920年、このホテルが正式にオープンしたとき、新聞はこう報じたという。
「極東の一体どこに、これほど優雅で静寂に満ちた場所があるだろうか」
第二次世界大戦中は日本軍に占領され、病院兼療養所として使われたこともあった。しかし、平和の訪れと共に、外装・内装に手を入れた豪華なリゾート・ホテルとして復活。再び、内外の賓客でにぎわい、香港ばかりか世界の社交界の話題の核となった。オープン以来の常連客の名簿には、世界の貴族や芸術家たちが名前を連ねていた。スペインのカルロス国王やカンボジアのシアヌーク殿下をはじめ、ギリシャやデンマークの王室も愛用し、「第三の男」のオーソン・ウェルズが秘密の隠れ家として使ったことでも知られている。「ゴッド・ファーザー」のマーロン・ブランドや「裸足の伯爵夫人」のエバァ・ガードナー、さらにシヤーリー・マクレーン、デビッド・ニーブンらの常宿ともなっていた。
 しかし、香港島南側にも押し寄せた宅地化の波と、合理化の流れの中で格調を重んじたサービスは採算に合わなくなっていった。ついに経営者のペニンシュラ・ホテル・グループは閉業に踏み切った。1982年6月24日、多くのファンの惜しむ声と、イギリス軍楽隊の奏でるマーチに包まれて、東側半分の完成から67年間にわたった歴史にピリオドを打ち、ホテルの建物は取り壊されてしまったのである。
 その後、多くの惜しむ声に応えて、正面部分のみが昔日と同様のイメージで甦り、ベランダ・レストランやショッピング・アーケードとして人気を博している。
 実は、このホテルは「マークとスーインがマカオを訪れたときに泊まったホテル」として『慕情』の撮影にも使われたという。営業していた当時と正確な比較ができないため場面を特定することができないのが残念だ。
 そして、この由緒あるホテルを人一倍愛していたと言われるのが『慕情』の主演男優、ウイリアム・ホールデンだった。香港滞在中は必ず西ウイング213号室に投宿するほどの入れ込みようで、ホテルと命運を共にするかのように、閉業が決まった後、他界したのも何かの因縁だろう。また、やはり常連客の一人だった『慕情』の監督、ヘンリー・キングもホテルの閉業5日後に96歳でこの世を去っている。
 リパルスベイ・ホテルはそのコロニアル風の造りからではなく、存在自体がイギリスの櫓民地時代の“古き良き時代”を象徴していた。中嶋嶺雄著「香港」によれば、香港の中国への返還をめぐる動きが現われたのは、リバルスベイ・ホテルが取り壊された直後の1982年8月、北京の外交雑誌「世界知識」が掲載した論文「香港・マカオ問題を語ろう」がそもそもの始まりで、同年9月には、サッチャー英首相が訪中して動きが急に活発化したという。その意味でも、閉業は時代の流れだったのかもしれない。